○2004/06/03 完全リタイヤが確定
非常勤という中途半端な状態が結局1年間続いた、これも6月末で終えられる事になった。これで完全リタイヤとなる。非常勤というのは、コウモリみたいな中途半端な存在で、
・会社にいるときは組織人、
・勤務していないときは生活人
(組織人と生活人−なにかうまく当てはまる用語を探してます)
(企業人と個人の方がイメージに近いかな?)
この両者の切り替え機能が、非常勤を半年も続けると次第に摩耗してきた。企業人としては効率・スピードが重要、生活人・個人に効率もスピードも無関係といいうか最重要項目ではなくて、楽しめる事が重要・・かな?
この立場の切り替えが次第に難しくなってきていた。非常勤でも専門職だと、また違うのであろうが。周囲に害毒をまき散らす前に、リタイヤすべきと切実に感じていた。これで、まずはほっとした。
○2004/06/07 リタイヤまで23日、退職説明を受ける
==退職にも体力、金力が必要だ==
今日、退職にあたっての提出資料をもらう。会社を作るときに退職しているので、一度説明を受けている。その時は保険・年金・税金など全てを新しい会社に引き継いだので、あまり混乱はなかった。
今回は、完全に会社組織から離脱するということで、自分でしなければならない手続きが多い。加えて、60歳になっていないために、60歳過ぎての退職よりも煩雑である。これは思わぬミスかもしれない。9月末の誕生日まで繋ぐべきであったか!!。まあ、自分の行動美学と合わない、みっともない事はやめましょう。
いずれにしても、60歳になると一部出てくる年金、企業年金なども実際に受け取れるのは12月のようだ。それまで無収入になるうえに、会社充当分がなくなる社会保険の料金は当然高くなる。かつ纏め払いを言われたりもする。
美学だなぞと格好つけても、いやはや辞めるにも資金が必要である。役所の訪問など諸手続への活動も必要。 というわけでサブタイトルの内容を実感した。
○2004/06/08 リタイヤまで22日 市役所に聞きに行く
健保の手続きを急ぐ必要がある。国保にするか企業健保の継続方式にするか早く決めるように要請される。国保の話を聞きに区役所を訪問。9時前に着いて待っていると、すぐに声をかけてくれた。説明も丁寧である。こういうのって嬉しい。
担当の方からは、たいへんに気の毒そうに国保の保険料が非常に高くなる旨を言われた。昨年の1月から12月の収入が、前半の社長時代のためそれなりにあったせいで、やむを得ない。これも目算ミスかも。4月−3月の年度で考えていたのが間違いであった。前年の1月−12月の収入でみている事に気づかなかった。
一応作っていたこれからの生活計画をもう少し詳細に見直す事にする。区役所から会社に直行して、健保の継続手続きを開始する。
○2004/06/11 リタイヤまで19日 中長計生活計画の見直し
企業人として性になってしまった中長期計画である。個人生活になっても、出来ていないと落ちつかない。半分は洒落・半分は冗談、ほんの少しは本気で、結婚した初期に退職後まで考慮したスケジュール・イベント・資金の予想計画まで作っていた性格である。企業人の性というより、単に個人的な性格かもしれないが。いずれにしても、これまでに作成していた今後の計画のローリングをする。
○2004/06/14 リタイヤまで16日 会社の荷物運搬
1年前の社長引退の時から、会社で処分すべき住所録等を整理し車に積んでいた。会社の方も私物的な物を段ボールひとつまでに整理して保管してあった。今日は、車で会社に行って、それらの荷物の交換と運搬を実施した。
電車通勤でも早く出社していたが、車だと更に早くなる。まだ出社している人が殆どいないなか、黙々と荷物の整理と運搬をする。流石に、「ああ、これでリタイヤするんだな」と感慨を持つ。会社を作る前後から、頻繁に場所の移動はしてきたが、やはり完全リタイヤとなると、荷物の整理も全く違った印象になる。
道の渋滞が嫌なので少し早めに退社して帰宅、今度は持って帰った荷物を家で整理する。会社でも家でも、周りの人は、あまり気にしていない。当たり前であろう。本人だけが、なんとなく感慨に浸っているだけのアホな構図ではある。
今日は、会社にいる間に、やっと立ち上げたWGのキックオフにも出席、これで気がかりな仕掛かり物件はなくなった。
○2004/06/15 リタイヤまで15日 社内の経営幹部に挨拶
社内の経営会議にて退職の挨拶をする(あちこちにいる社員の皆さんには会う時間がとれないので、メールで挨拶を発信)。経営幹部の皆さんには、勝負事でもビジネスでも
「うまくいった、いってると思った時が、組織にとって一番リスクが高くなる時」
と意識してほしいとお願いした。
--------------------雑談:自らへの引導を渡すべき時期とは---------------------
家族の健康状況から社長を引退させてもらい、状況によっては途中から完全リタイヤも覚悟していた。幸い、家族の状態も安定していたため、1年間の非常勤を続ける事が出来た。そうこうしてるうちに、ジェネラリストとしての引退すべき歳と考えていた60歳が目の前に来てしまった。
自分あるいは組織の状況はどうあれ、次の方に仕事をバトンタッチして組織から消えるべきと考えていた年齢である。辞めない、辞めるべきでない理由をつけ始めると、理由はいくらでも出てくる。
全くの個人的な感覚ではあるが、この女々しさというか、自分への過大評価/続く人への過小評価が、企業だけでなく政治も含めて日本をおかしくしているのでは、と常々思ってきた。あくまで個人的な意見であるが、ごちゃごちゃ言い訳せずに、もう自らをすっぱりと切ってしまうべきであると。
○2004/06/16 リタイヤまで14日 挨拶その2
今日は親会社を訪問して挨拶をしてきた。引退するとはいえ、設立検討から関わってきた会社である。やはり、我が子のように感じている。親会社のトップ、幹部の方々に今後とも我々の会社を宜しくとお願いする。結婚式での親父さんの気持ちかな??。
挨拶の後、総務の知人の方に、退職に当たっての諸手続を教えて頂く。ありがたい事だ。できて数年の小さな会社でもあり、そういったノーハウの蓄積はこれから。私の知っている情報が多いくらいの状態である。すべての手続きが完了して評価も終わった段階で後任の社長さんに一式をお渡ししておこうと思っている。
○2004/06/17 リタイヤまで13日 国民年金への手続き
配偶者の年金が3号から1号に変更になるので手続きは必要であるが、私自身もが60歳まで3ヶ月あるので、その間は国民年金に加入しないといけない。やり方を市役所に問い合わせる。この前に区役所で建機保険の事を聞きに行った時もそうであったが、今回の電話相談もたいへん親切・丁寧に対応してくれた。
話は違うが、企業の健保に問い合わせたときに感じた「いはゆる昔のお役人的な対応」とは全く違っていた。民間の方が昔のお役人的な対応とは、どうなってるんだろ???
ま、それはさておき、自治体によって違うようだが、私の手続きすべき自治体では退職証明書(形式は問わない)が必要とのこと。会社に発行を依頼する。短い期間とはいえ、役員になったため失業保険は不適用となり、離職表は存在しないため、かえって面倒だ。
○2006/06/19 リタイヤまで11日 リタイヤ後の準備?
今回はリタイヤ準備とは直接の関係はないが、パソボラという「障害者・高齢者のIT活用の支援活動」をしている団体さんの定例会に出席させて頂いた。
パソコン通信とか以前に参加させてもらった地域団体でのお付き合いは別にして、会社/ビジネス世界とは異なった分野に顔を出さしてもらうのは久しぶり。10年以上も前に「とうよこ沿線を語る会」でお世話になって以来。特に、この数年は事業の開発とか、会社の立ち上げと経営に関わってきた事もあって、「具体的な目標設定/効率/スピード/ビジネスチャンスへの感度」などを最重要視する世界であった。
どういう分野であろう、なにかを目指し達成していくという意味では同じだろうが、こうしたボランティアの世界、個人が中心の世界は、ビジネス世界とは
「目標の根底にある想い」
「目標を達成するための方法論」
に大きな差があるのであろうと想像している。
今回の飛び入り見学を快く承諾くださった団体の定例会では、7月1日〜3日にパシフィコ横浜の「ヨコハマ・ヒューマン・テクノランド:YOTEC」での展示準備を中心に検討されていた。本団体は、「自治体による障害者のIT活用支援」、「受講した障害者が自立して仕事に携わる企業組織」、それらを包含するようなフレキシブルな民間組織という多重構造になっているようだが、よく判らなかった。
私がお役に立てるのかどうかわからないが、お手伝いさせてもらえる機会があれば、ぜひ参加させてもらいたいと思う。これまで知らなかった新しい世界を教えて頂けるという事で、私にとってはたいへんありがたい事である。
○2004/06/22 リタイヤまで8日、実質の最終出社日
退社の挨拶は24日に予定している。1年前に大々的な社長引退の式をしてもらっているし辞退したが、形式も必要とそうもいかないようだ。せめて、職場フロアでの挨拶にしてもらったが、車の用意だ、花束の受け取りだと次第にエスカレート。「あれ、いつの間にかいないよ」と霧のように消えていきたいと思っていたのだが。
次の出社は24日の挨拶の時、本日が実質的な最終の勤務日となる。会社のある事業場の入口には、出社時いつも挨拶し、節目節目には参拝している神社がある。今日は改めて参拝。これからの会社の更なる発展を祈願する。事業場としてはまずい事だが、持ってきたデジカメで記念の風景写真を撮らせてもらう。
それにしても、会社設立からは4年半、更には約36年間の会社生活の締めの日だというのに、特別な感慨がないのは何故だろう。
社長を引退する決断をした時の印象が強いせいなのか、1年間の非常勤というソフトランディングのせいなのか、歳と共に心の皮が厚くなってしまったのか。まあ、それらのミックスなんだろう。
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話は変わるが、本屋で定年和尚という文庫本を見つけた。定年して真宗大谷派の本物の僧侶になられた方の本である。いい加減な勢いで法名を頂いた私などとは違う本格的な求道者であられるようだ。
○2004/06/22 リタイヤまで8日、文庫「定年和尚」を読んで
やはり感情・感覚が鈍磨しているせいだろう。本屋で見つけた定年和尚という本を読んでいるが、内容がしっくりと入ってこない。
著者は10歳ほど先輩の方だ。新聞社、出版社、テレビ会社と移られ、定年で僧侶になられた。環境とか医学などの分野の取材をされているうちに、経済至上ではない価値観の必要性、愛別離苦・諸行無常の感などを強くされた。早くから仏教の自学をなさったそうだ。その場その時の諸々を全身で受け止め、強い情念を持って生活されてきた。その事もあって、万物流転・無常への思いを強く持たれたのであろうかと思う。
感情・感覚の鈍磨というか、強い情動を滅多に持った事のない低エネルギー体質の私には、流転・無常の思いが理解が出来ない。変化があって当たりまえだし、変化あってこそ世界は生きていると思うのだが・・・??。
私の会社生活は研究担当からスタートした。その後、マネージメント担当を経て、約7年前に事業開発を担当、会社設立へと変化してきた。
この程度の変化は誰もが経験する事だろう。変化への特別の感慨もない。多少はしんどい事・嫌な事もあったように思うが、忘れてしまった。脳に欠陥があるのか、すぐに忘れてしまう。健忘症なのか、頭の中には今と将来しかないようである。変化への無常観を理解できない理由のひとつかも知れない。
会社を設立してから、社員の皆様に「変化こそチャンス、自ら変化を起こして夢を実現しよう」と申し上げてきた。ビジネスだけではなく、個人生活でもそうだと本音で思っている。変化無くなれば熱死の世界である。エンタルピーが最大化した熱死の世界だ。変化は自分にとって良い事も悪い事も差別なく降りかかるが、それでも良いじゃないか、仕方ないと、私なんかは思ってしまう。
設立した会社が思った以上に順調に推移してきたが、家族の健康課題から重点を個人に移す変化を自ら作り出した。移行に少し時間はかかったが、これもスムーズに終了できた。この変化にも特別な感慨はない。変化の引き金は引いたかもしれないが、その後は成るようになってきたという印象である。
このような情念が薄い、そして昨日の事はもう忘れてしまうという健忘症の者は、この本の著者のような本物の求道者たり得ないのかなとも思う。頂いた法名「釋護法」はどうなるのだろう??。
○2004/06/24 リタイヤまで6日だが、今日が実質の最終日
職場でお別れの挨拶をした。本日が実質のリタイヤ日だ。40年弱の会社生活に別れを告げて自由人となる。それにしても、1年前の社長退任、今回のリタイヤそして今日の挨拶も自分で決めるという、企業人として最高の贅沢をさせてもらった。
簡単に挨拶時間設定を夕方にしてしまったため、19時から開催されるボランティア・市民活動への出席準備もあって慌ただしかった。そのせいもあってか、皆さんに見送られて車の窓から眺める職場にも感慨を持つ余裕がなかった。
○2004/06/25 リタイヤして次の日
スポーツクラブ、旅行の準備など動いているせいか、リタイヤしたという感慨がまだ出てこない。
そういえば、お世話になった方々への挨拶にまわった際、「良い天気ですね」という挨拶と同じだとは思うが、「これから何するの?」と聞かれて答えに困った事を思い出した。途中から面倒になって、「遊びほうけるんだ、遊びに狂うんだ」と答える事にした。本気で尋ねているのではないし、答えなんかどうでも良いんだと判ってはいるが、それだからこそ、答える方としては困ってしまう質問ってある。 |